こんにちは、zukacotoです。
今回は星組ロミオとジュリエットのA日程感想の続きです。
前編はこちらからご覧下さい!
それではさっそくスタート!
マーキューシオの親友愛
極美のマーキューシオがかなりよかった、と以前も書きました。
まず、相も変わらず顔がいい。あのピンクの髪も奇抜だけどよくお似合いで。
技術的な面では若手ながらの荒削りな部分もありましたが、歌もダンスも及第点…それどころか結構イケてるように見えました。
特に歌に関しては微妙だ、みたいな感想が多かったので覚悟していたのですが、なんだ普通に歌えてんじゃん!って拍子抜けしました。
大劇場を経て成長を遂げたということなんだろうか…。確かにマーキューシオは難しい歌が多いけれど…謎です。
それにしても、上級生に対しても臆することなく役として存在できるというのは彼女の強みではないかなと今回改めて感じました。
持ち前の長身もあってか、愛月のティボルトとも対等に張り合っているように感じましたし、ロミオのお兄ちゃん的存在にも見えた。
てっきり、ご本人のお人柄的にも学年的にも弟キャラっぽい感じになると思っていたので、完全にしてやられましたね。
そして、頭に血が上りやすくて、喧嘩っ早くて…という歴代マーキューシオの要素に加えて、今回は女たらしの部分もかなり表現出来ていたのではないかと。
それは、いい意味で上級生にも遠慮のない彼女だからこそなのかもしれません。
♪綺麗は汚いで執拗に乳母の胸をもみ、スカートをめくりまくる極美マーキューシオ。
乳母の胸は肉布団だからまあ…、って感じですけど、紫月音寧さんの胸をがっつり掴んだ時には、さすが極美、と思わざるを得ませんでした。笑
♪綺麗は汚いで言えば、荷台に立つ姿も印象的でしたね。青春してんなー、って感じで。
そんなやんちゃっぷりと若者ならではのキラキラ感も好きでした。
とまあ、「アルジェの男」以降極美贔屓なところのある私は、彼女のマーキューシオを大変好ましく拝見させて頂いたのですが…。
今までの話は言わば余談みたいなもので、本題はここからなのですよ。
極美のマーキューシオがよかったと思った1番の理由は、親友・ロミオへの愛情がこれまでに無いくらい深かったからなんです。
前編でお話した「ほっぺむぎゅ」の時の彼女の顔。
とっても愛おしそうにロミオを見ているんです。
そうやって、ロミオが可愛くて仕方ないみたいな顔を、ふとした瞬間に見せるところが何回かあるんですよ。
極めつけは、息を引き取る瞬間に口パクで「ロミオ、ありがとう」と言うところ。
ああ、この人は、本当に、心の底からロミオのことが好きで好きで堪らなかったんだなと。
大公の甥という立場でありながら、モンタギューのリーダーとして争いに荷担していた理由もそこにあったんだと気付かされました。
そう思うと♪街に噂がでロミオを責めるのは、モンタギュー派としてロミオの行動が許せなかった訳じゃなくて、自分に一言も相談してもらえなかったことへのやるせなさと、モンタギューの跡取り息子であるロミオが修羅の道を歩もうとしていることへの純粋な心配があったからなのかな、なんて思ってみたり。
マーキューシオの親友愛も今回のロミオとジュリエットの見どころではないでしょうか。
それにしても、極美は刺されてからの咳き込み方とか、声や手の震え方が妙にリアル感があってお上手でしたね。
あの場面の悲劇性を高めるのに一役買っていたと思います。
ティボルトとマーキューシオの対立
今回はティボルトとマーキューシオの対立構造もはっきりと見えたのが印象的でした。
今までのロミジュリでは、ティボルトを2番手格のスターさんが演じるぶん、若手スターが演じることの多いマーキューシオが必然的に迫力負けしてしまうところがあったように思います。
それが、愛月のティボルトと極美のマーキューシオはちゃんと対等だった。
おそらくこれは、愛月のティボルトに少し幼さを感じる要素があったことと、極美が臆せず果敢に立ち向かっていたからではないかなと。
愛月のティボルトはマーキューシオを下に見つつも、結構ガチで喧嘩しに行っているんですよね。「来いよオラ!」と時折マーキューシオを煽ったりして、ちゃんと”相手をしている”とでも言いますか。
あー、この人も、まだ子供なんだなって思うところもあったりして。
(マーキューシオを刺したあと、「やった…やったぞ!」と自分を奮い立たせるティボルトが切なかった…。)
対して、極美のマーキューシオは下級生らしい遠慮など全く無く、ティボルトを煽り、殴り、蹴り…。
そんなこんなで、今回の♪決闘の場面はモンタギューとキャピュレットとの争いというより、ティボルトとマーキューシオが大喧嘩する場面、という風に見えたのが面白かった。
なんか、愛月のティボルトと極美のマーキューシオは、もし時代が違ったり立場が違ったりしたら仲良くなれそうな感じがする。何となく、そんな感じがしました。
ヴェローナの傀儡師
さて、Bパターンで愛月が演じて話題になった”死”ですが、Aパターンでは天華えまがこれを演じました。
愛月とはアプローチの仕方が全く違って見えて、これまた観ていて面白かったです。
天華の”死”を一言で表すならば「ヴェローナの人々を操る傀儡師」という感じ。
それが特に感じられたのが、♪僕は怖いのリプライズの場面です。
ティボルトとマーキューシオがマリオネットかのように天華演じる死に操られていたのが印象的でした。
面白いのが、例えば初演の真風涼帆の死はリアルな人間を操っているかのように見えたのに対して、天華の死はまさにおもちゃを相手にしているかのような感じに見えたこと。
常に気怠そうというか、退屈そうにしていて。
たまにおもちゃ(=ロミオやティボルト、マーキューシオ)を見つけて遊んで、飽きたらポイッみたいな…。
舞台でどこに居ても目に入るというような華はなかったかもしれませんが、要所要所で存在感は出せていましたし、かなり良かったのではないかなと個人的には思いました。
若者の不安定さの象徴
今回のロミオとジュリエットの裏テーマとして、「若者ならではの不安定さ」を描こうというものがあったような気がします。
ティボルトだったり、ベンヴォーリオだったり、マーキューシオだったり。
彼らは大人なようで実はまだまだ子供の部分も沢山ある。
そして、そんな若者の不安定さの象徴として描かれていたのがロミオとジュリエットの2人なのかなと。
礼のロミオは純粋過ぎるほどに純粋で、真っ白な存在。
周りの人たちから可愛がられていて、御曹司として大切にされているのに、どこか満たされず。
何となく運命の恋を夢見たり。
さっきまで仲間達と楽しげに踊っていたと思ったら、次の瞬間には漠然とした死への恐怖を感じていたり。
そういった姿が等身大の若者っぽかった。ちょっと厨二病っぽい感じとでも言いますか。
そして、純真無垢な人ほど何かの弾みにとんでもないことをしでかしてしまう、という感じがすごくリアルだったなと思います。
対して舞空のジュリエットはこれまた別のベクトルで若者らしさがあって。具体的には、思春期らしい頑固さと視野の狭さが印象的でした。
親に逆らったことがない、という少女が何かの拍子に思いもかけぬ行動力を見せ、頑として親の意見を聞き入れず、ひたすら突っ走る。
この辺りもすごくリアルで等身大だったと思います。
きっと、あと3年もしたら「何故大人達はパリスと結婚した方が幸せになれる、と言うのか」とか「ロミオとの結婚を反対する親の愛情」とかに気付けるようになると思うんです。
今まで私はロミオとジュリエットを単に「純愛と青春の物語」としてしか見ていませんでした。
しかし、今回はロミオやジュリエットをはじめとした若者たちについて、現代にも通ずる思春期ならではの心の動きを描き出すことで、私たち観客に新たな視点を与えてくれたように思います。
なるほど、小池先生がしきりに新たなロミオとジュリエットを、と言ったのはこういうことかと。
と同時に、このジェラール・プレスギュルビック氏×宝塚版のロミオとジュリエットは、一つ完成形を示したのではないかなと思いました。
観劇前は今回の再演を皮切りに、以前のように各組で再演を重ねるものと思っていましたが、今はもう宝塚ではこれっきりになるような気がしています。
おわりに
星組ロミオとジュリエットの感想を2回にわたってお話してきましたが、いかがでしたでしょうか。
完全に私の勝手な解釈でしかないですし、キャストの皆さまが意図した役作りとは違うところもあるかもしれませんが…お楽しみ頂けたら幸いです。
ひとまず、ロミジュリの話題はこれでおしまいにしようかな。
途中、休演期間や席数を限定しての公演となりましたが、星組の皆さまの熱演は素晴らしいものがあったと思います。
そして、礼真琴ファンとしては彼女がトップスターととして再びこの作品に挑戦する姿を拝見することが出来て、本当に幸せでした。
また星組の皆さまの舞台を拝見できる日を楽しみにしています。
それではまた。
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